2011年05月29日

堤喩

入試演習に、「通訳は『縦のものを横にする』だけだ」という文を説明させる問題がありましたが、この表現はなかなかおもしろい。ここには堤喩という一種の比喩表現が二重に使われています。

堤喩は二つに分けられます。まず、「ごはんですよ〜」というときの「ごはん」が「食事」を表すときのように、一部(代表例=米を炊いたもの)で全体(より広い範囲の内容=食事)を表すやり方です。もうひとつはその逆で、「髪に白いものが混じる」という文の「白いもの」のように、広い範囲の意味をもつことばで、部分的な内容(白髪)を表すもので、はっきり言わず内容を曖昧にする効果があります。

「縦のもの」という表現は後者の堤喩で、「縦のもの」という広い範囲の意味をもつ言葉で縦のものの一部である「日本語」を表しています。と同時に、「縦のものを横にする」という表現自体は前者の堤喩になっている。「縦のもの(日本語)を横(欧米語)にする」という部分的・具体的内容で、通訳全般の内容を表現しているのです。そうすると、この表現には堤喩の二種類が同時に用いられているということになります。分析してみると一筋縄ではいかない表現です。

さて、これを前者の堤喩を用いずに表現したらどうなるでしょうか。「通訳は『日本語を英語に訳す』だけだ」となります。これはちょっとおかしいる表現ですね。通訳全般が主語なのに、具体的な内容がつながっている。違和感があります。じゃあなぜ「通訳は『縦のものを横にする』だけだ」は堤喩として解釈されるのに、これはそのように解釈されないで、おかしい表現だと感じられてしまうのか。これには、「比喩として解釈されるための条件」ということが関わっています。

比喩は間接的な表現です。比喩を理解するためには、直接的・文字通りに解釈するものではない、という頭が働かなくてはならない。そのためには、文脈から明らかに比喩であると読み手に認められる必要があります。直接的・文字通りにではなく、間接的な比喩表現として解釈しないとおかしい、と感じさせなくてはなりません。例えば、「彼女の肌は雪だ。」とあれば、これはそのまま「雪」だと判断するべきではないことが明らかです。「肌」と「雪」とが異質のことばであり、直接的に結びつかないことがはっきりしているからです。堤喩でいえば、「人はパンのみにて生くるにあらず」とあれば、「パン」が文字通り「パン」だと解釈するのは明らかにおかしい。すなわち、比喩と解釈される文脈的土壌があるということです。

「通訳は『縦のものを横にする』だけだ」とあれば、これが比喩表現であることは明かです。なぜか。「通訳」と「縦のもの」とが明らかに異質のことばであり、直接的に(文字通りに)解釈するのは明らかにおかしいからです。ところが「通訳は『日本語を英語に訳す』だけだ」の場合はどうか。「通訳」「日本語」「英語」はたしかにカテゴリーとしては異なっているが、意味内容が近いことばであり、それほど異質性が際立たない。だから、これは比喩として解釈される必然性がなく、結果としておかしな表現になってしまうのです。
posted by ヨシハラ at 10:03| Comment(0) | 国語の学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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